日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

GWってなんだっけ

こういう大型連休っていうのはもともと消費促進のためにあるんでしたっけ? 世間知らずというか常識知らずですみません...ほんと、毎年毎年「関係ないなぁ」としみじみしちゃう。休みが多いと少しだけ嬉しいけど、結局持て余すし。仕事はGW前に圧縮されて忙しくなるし、リズムは狂うし。いいことないよなぁ。なんていうか、ふつうに土日+祝で3日間...くらいが限界です。どんだけ...

映画はちょこちょこ観てるんですが、なかなか感想書けないです。そんなもんです。加えて、このGW用に仕事関連で観ておくべきDVDをピックアップしたら膨大になって萎えました。どうやったって消化はムリだ。だからといって優先順位つけて片付けて行くほどでもない。「仕事のため」っていうだけでテンションさがるし。なんともなんとも。実家に帰省するタイミングとかで『1Q84』の3巻を読もうかなーなんて思ったりしてたのだけれど、twitterで目にした限り、どうやら3巻でも終わってないっぽくて「ええーっ!?」て感じ。また1年とか待たされんですか...っていうかあんな厚いの3冊でも終わらないってどんだけ広がってるのですか。困ったな。個人的には1巻は今ひとつ乗り切れなかったのを無理くり読んで、2巻でやっと「おおっ」と来たところであんな終わり方で。「そりゃないよー」って感じだったので、またあんな思いをするならばもう少し様子を見ようかなぁなんて。ああ。相変わらず取り留めなく書いておりますが。

結局、Fと復縁することに。ありがたいことにFは私を好いてくれていて、だからこそ、愚かな私は同じことをまた繰り返してしまいそうでずっと曖昧にしてたのだけれど。結局「好かれてる」という事実を受け入れる嬉しさに勝てなかった。ダメダメだ。もちろん、私もFのことはとても特別だと思うし大切だと思っている訳なんだけれど、だからといってまた同じことをしない...と断言出来ない弱さよ。大事だからこそまた傷つけたりしたくなかったのに。でもそれでもいいっていうものだから。交際する...となると、いろんなことが義務化するのが苦しい。それは今回、事前にFには強く訴えかけたわけなのだけれど、やたら連絡がマメになってちょっとすでに息苦しい。どうしたものか。やっぱり私は誰かに大切に想ってもらう資格などないと我ながら想うなぁ。ううーん。

その瞬間に用がある

ハート・ロッカー』(監督:キャスリン・ビグロー)鑑賞。

イラク戦争の現場、ある爆弾処理班。
あと1ヶ月ほどで任務終了となる時期に新たに隊へやってきた爆弾処理のスペシャリスト、ジェームズ軍曹。
時に大胆に、乱暴過ぎるくらいなやり方で処理業務をこなす彼に対し、何事もなく任務を終えたい他の隊員たちは戸惑いながらも、その指示に従う...果たして隊は、無事に従軍期間を全うすることができるのか?


...何かの調査で、日本人には映画を現実逃避の手段として楽しむ...みたいな人が多い的結果が出たみたいですけども、私が映画を好きな一因は、自分自身が違う世界に行けるから。違う世界を体感できるから。そういう意味では、まさに“自分の知らない世界”...。でもたぶん、これは、“だれかの現実に近いもの”であるということ。
“戦争”が“日常”となり、生と死を分けるものなんて運しかないという毎日を過ごす中で、その緊張感の中でしか“生の充実感”を得られなくなった男。
そんな人間を生み出す、“戦場”の過酷さ、非情さ...
ただただ淡々と、次々生まれてくる任務をこなす隊員達。そこには、気分を高揚させるBGMが流れたりするような映画的演出は一切ない。当たり前だ、戦場なんだ。じりじりとした沈黙。起爆装置を解除する、その瞬間へ向かう無音の。そして、“その瞬間”に取り憑かれた男の、その一歩。その後ろ姿。
演出は過剰じゃないけれど、エピソードはやはりドラマチックだ。当たり前だ、映画だもの。その、バランス。もう少し、語っても良かったのかもしれないし、もっと削っても良かったのかもしれない...。けれど。あの背中。それだけで。

漫ろ零し

あいかわらず、仕事漬け。なんだかんだで仕事が大好きなのだから仕方ない。...や、仕事が大好きというよりは、とりあえず“私がいないと成り立たない”という状況にずぶずぶなだけだ。基本的に承認されたい欲で生きてるような人間なので。今メインでやってる仕事は、本当に現場は私しか内容を把握してなくて私以外の人間では回しようがないから、だからこそやりがいをもってやれている...としか思えない。たまに「ひとりっきりって孤独だよー」とかこぼしてみたりするけれど。なんだかんだで私は“歯車になってる自分”がいろいろ丁度良いと思っているのだ。つまんない人間だ。

でもって、バレンタインとか「何の日だっけ?」くらいの勢いで終了。あまりにあんまりにも、我ながら関心がなくて苦笑。チョコレート大好きなんだけどね...。とりあえずこの冬は無印良品の「ラムチョコレーズン」が個人的にど真ん中ストレートで、あれがあればもういいや!くらいの勢いで愛しておるので。今年はどんなのが流行ったのかもしらないやー。まあ、こんな年があってもよかろうよ。

J氏から音信が絶えて1ヶ月あまり。C、CDを返して欲しいんだな...どうしたもんなのかな...あんな良い人だし確実に借りパクとかできなさそうだから、きっと彼はあのCDを“つなぎ”と思ってるんだろうな。私から「CD返して欲しいので会いましょう」って言えばいいんだろうけど、どうにも釈然としないっていうか...ううーん。最初はあんなに押せ押せだった人が、こうまでなったということは、きっと他に素敵な人を見つけたか私の適当な返答に愛想つかしたかのどっちかなのだろうけど、だったらあっさりCD押し返せばいいものを......こういう宙ぶらりんな感じ、気持ち悪くないのかなぁ...とりあえず、来週あたりしれっとメールしてみようかなぁ...それで無視されたらCDは諦めよう(泣。

久々に元カレFから電話来る。そして土曜日に会うことに。ああ、こういう明瞭さだ! 「時間あるなら会おうよ」って言われたらこっちも「うん」って言えるのだ! へんなかけひきとか匂わせとか要らないよ、もう! やっぱり私はこのひとの、なんだかんだで明瞭なところを良いと思うなぁ。でもたぶん、今、私とFが会ってお互い楽しくいられるのは“彼氏彼女”っていう“特別”な関係じゃないからだ。そういうカタチにハマってしまうと、“こうでなければならない”という意識が強くなってよろしくない。お互いに柔軟性がなさすぎなのだ。だからこそ、こういう風に、あえて名前をつけない交流の方がうまくいく気がしてる...のだけれど。はてさて。

なんかもうダメダメだ

びっくりすることに、1月も下旬です。あけおめです。遅ればせ過ぎる!!! ...なんかもう、年末からの怒濤の業務に振り回されまくって、すっかりここのことを忘れておりました...いやはや。とりあえず、いろいろ面倒くさくなってることは否めない。

でもって、面倒くさくなってること筆頭はJ氏のことで、一応あけおめメールがきてたから返事は出したものの、我ながらすっごく適当な内容だなぁと思っていたら案の定それ以来応答がない。だってものすごーく遠回しに会合のお誘いがされていて、乗っかるのは簡単だけど、そんな遠回し程度じゃこっちの気持ちはノらないですよ。だからその部分を綺麗にスルーした返事をしたのです。ま、レスなくてもしょーがないかー。貸してるCDは返して欲しいんだけども...だけどこっちからわざわざ会うセッティングしたいとも思わないしなぁ。

加えて、1件、新規会合があったりしたんだけれど、これまたなんかもう全く気持ちが乗らなくて「やっぱり断るべきだった...」と思いながら待ち合わせ場所まで行き、絶対こっちに気づいてるくせに声かけてこない相手に業を煮やして私から声をかけ。それでもせっかくだからできるだけ楽しく過ごそうと思って、できるだけ楽しく感じようとしてたのだけれど、そんなに気持ちがあがる話題には全くならず、どうにも反応が平坦になってたらしく。後日「冷めた人だなと思いました。これっきりにしましょう」とメールが到着。ああ、人の時間を無駄にさせてしまった...と反省しきり。

さらにさらに。Fと久々に一緒にライヴに行く。こちらから別れを切り出し、復縁の申し出も断り...してきた相手に数ヶ月後あっさり「○○のライヴ、一緒に行かない?」と誘う私の最低オンナ加減。でも実際、Fと一緒に行ったら一番楽しく過ごせると思えるアーティストだったんだもの...。Fはとりあえず了承してくれて、これまた半年ぶりくらいに会って、やっぱり思っていた通りFと一緒に観たからそのライヴは楽しかった。そのあとも一緒にご飯食べて、最近の近況を交換して、春にまた別のライヴに一緒に行く約束をしたり。......付き合ってる当時から思っていたけれど、私はなんでFとの他愛無い会話であんなに笑えるんだろう。そういう意味ではやっぱり改めて特別なヒトだなぁとは思う。思うんだけれど、私はこと、“コイビト”とか“パートナー”とかになると相手に求めるもののハードルがえっらく高くなってしまうのだ。今みたいに、気楽に時々、コトバを交わす相手でいた方がきっとお互いにとって良いのじゃないかなぁ...と。まあ、Fがどう思っているのかは分からないけれど。そしてそこから目を逸らしてる時点で、やっぱり私は最低最悪なのだけれど。


私がこんな年齢なのに独身であることを、周囲の友人知人たちは“ダメ男好きだもんねー”と評してくれてるわけなんだけれど。そんなことはなく。なんてことはない、私が単に“ダメ女”だからなのだ。私が“ダメ男”好きなんじゃなくて、私がダメだから、煮え切らない相手としか続いてこなかったというだけで。そしてせっかく相手が決意してくれても、今度は私の腰が引けてしまう...と。
果たして今年、私は成長できるのかなぁ。とりあえず、もうちょっとダメじゃなくならないとなーと思う2010年1月。

白と黒と

市川春子の単行本。アフタヌーンで読み切りを読んで以来、ずっと気になっていた作家さん。高野文子直系というか、私が通って来たものと近い匂いがする。ただ、高野文子とは描きたい方向性はちょっと違うっぽい。もっとダークだし直接的だし。とりあえずこの単行本には“人と、そうじゃないもの”の交流が描かれています。

ここにも、後日amazon貼ります。

へなちょこ

The Drums。だいぶ前に出てたわけですが、ちょっと手に入らない時期が続いてて、こないだチェックしたら買えるようになってた。へなちょこだー! すきだー!

うおー! amazon貼ろうと思ったのに、混んでて使えないって! 後日貼りますよ...The Drumsの「Summertime!」。

Summertime!

Summertime!

  • アーティスト:The Drums
  • 発売日: 2009/10/12
  • メディア: CD

ひさびさ

久々です。なんにもなく過ごしてます。ただただ仕事だけ。あ、B君が日本に帰って来たけど、どうもそっけない。避けられてるかなー。もう3年も経ったら過去なのか。過去だよなー。いってしまえば、私にとっても過去で、だからこそ私から率先していろいろ声をかけたりもしてないわけで。ひととひととの関係なんて、なんて希薄なんだ。結局、法律でしばる関係しか残らないのか。なんだかなー。
とりあえず、ひさびさなので↓に最近買ったものをとりあえず記録。

太ももに、ひと刺し

ポン・ジュノ監督作『母なる証明』を観ました。


今回のテーマは”母親の無償の愛”。殺人事件の容疑者となった息子トジュンの無実を信じ、それを証明するために奔走する母、とにかくトジュンのためなら、まるで暴走機関車の如く“何でもする”その姿。テンポはゆっくりにみえて、でも切り口は鋭利。どうやら複雑な事情を抱えている母子家庭、その裏側を小出しにしつつ、事件の真犯人探しというサスペンス調で物語は進む。
(以下ネタバレあり/『殺人の追憶』ネタバレも注意)
とにかく、トジュンと母。その過剰なる関係性。“目がキレイ”と表される青年トジュン。良く言えば純粋無垢、ややもすれば発達障害を持っている?...と思えそうな描写がされつつ、どうもその裏には母子の過去が絡んでいる模様。その”過去”ゆえに、母は息子に行き過ぎと思えるほどの愛情を注ぎ、息子はどうも“もの覚え”が悪い。単なる母子の問題と思われたその過去が、実は大きな意味を持っていた...。
どんな町にも居そうな、母子家庭の一例。ごく普通で身近で、でもひっそりと存在する“狂気”。......そんなものに、思わず想いを馳せる。
なんとなく私は、この映画は『殺人の追憶』と合わせ鏡的な作品だなーと思ったのでした。......“犯人の顔は、普通”。
そしてこの作品は、やっぱり女性と男性でも受け取り方が違うんじゃないかな...と。殺されてしまった少女が携帯に撮り溜めていた写真。彼女は何故、あれだけ絶望しながらも写真は消さなかったのか?*1  そして、“母”が写真店の女性に勧める”子ができる薬”のシークエンス。“子を授かり産み育てる性”としての“女"...。例えば、それ故に“女性は幸せだ”なんて言説もあるけれども。苦悩の伴わない手放しの”幸福”なんて果たして存在するのか否か。...なんて、いろいろ考えさせ過ぎる作品ですね(笑。


本当に、ジュノ監督の“エンタテインメントとしての映画”を追求する姿勢は相変わらず素晴らしいし、冴え渡っているなぁとしみじみ。ただ、物語的には、うーん、“後味悪さ”は『殺人の追憶』も同じだけれど、やはり『殺人〜』の方が好きかなぁ...。

*1:私はなんとなく、“出来ずに終わった子”の想い出...的な印象を受けたのです。多分、考え過ぎだけど/苦笑

これが、これこそが。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT』鑑賞。


ただただ、マイケルの才気迸る姿に圧倒された2時間。
改めて、彼がこの世から失われてしまったことと、このショーが行われなかった事実が惜しくて仕方がない...
きっと本当に凄まじいショーになったことだろうなぁ。ロンドンに行けるはずもなかったけれど、たとえDVDでもいいから、完成したあのショーを観たかった。ケニー・オルテガがついてるんだったら、もしかしたら3D収録して映画化!とかいう話さえあったかも!?(わからないけれど。でもきっと、そんな話、あったと思うなぁ...)


それにしても。

リハーサルなのに、マイケルのダンスや立ち居振る舞いが素晴らし過ぎる。立ち姿それだけでも、ひたすら絵になる人。
ただひたすらファンに夢と最高の時間を与えようとしていたあの人、才能が溢れすぎて眩しすぎて。だからこそ、あの“存在”そのものをエンタメとして我々は喰いつくしてしまったんだなぁ......
この大好評を受け、日本では公開が延長になったみたいですね。ほんと、少しでも多くの人に観て欲しいなぁ。私もまた観たい。観に行けるかなぁ......

奇蹟など起きない

イエジー・スコリモフスキ監督『アンナと過ごした4日間』を観ました。
公式サイト
ずきずき、ずきずきと胸が痛む。
...観終わった後、そんな感覚に囚われてしまった映画でした。

社会的には底辺的な生活をしているが、ただただ真面目な中年男レオン。孤独で寡黙な彼が想いを寄せる女性アンナに対し、思い切った行動に出る。
その、4日間。


(ここからネタバレ満載の感想)
言ってしまえば、ただただ気持ち悪いストーカー的な男の、酔狂な行動の話。
だからこそ、奇蹟は起きない。
病院の火葬場という人がやりたがらない仕事をせざるを得ず、どうやら生まれも複雑で幼い頃から病弱な祖母と二人暮らし。数年前、偶然、アンナがレイプされている現場に居合わせ、そんな場面なのに彼はアンナに恋をする。
彼の目に入ったアンナの赤い爪の足。正体不明のチカラ(=見知らぬ男)に押さえつけられ抗う足...。穿った見方かもしれないけれど、レオンは、そこに“自分と通じるもの”を感じたんじゃないだろうか...(いや、ただ単に生まれて初めて目撃した性的な現場だったから、だけかもしれないけれど)。“押さえつけられる者の哀しみ”を知る者同士、と。
その後、現場に遺してしまった遺留品からレイプ犯とされてしまうレオン。取り調べでの彼の過剰に怯えた態度からも、きっと彼は幼い頃からずっと、周囲から恫喝されて生きて来たんだろうということが想像されて。社会という“大きなチカラ”に抗えず、縮こまって生きてこざるを得なかった男...そんな男が、唯一見出した光。恋する女。ただただ焦がれて起こした行動が“睡眠薬を盛って眠りこけた相手を、ただ一晩中見守ること”って......!
結局、彼は色々諦めていて。諦めざるを得なくて。それを想うと、ずきずきする。そして結局、奇蹟は起きず、彼は住居侵入の咎で再び逮捕されてしまう訳なのだけれど。だけど、世の中なんてそんなものなのだ。弱者には厳しく、道を誤った者には容赦ない。

思い出したのは、アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』だった*1。(ここから『トーク〜』のネタバレあり。ご注意)
植物状態に陥った恋する女性アリシアを思いあまってレイプする看護士ベニグノ。彼は“純粋のかたまり”のように描かれていたように記憶しているのだけれど。ベニグノは罪に問われ投獄されながらも、結果、出産によってアリシアが植物状態から回復し意識を取り戻すという“奇蹟”を呼ぶ。
......まあ、映画としての主題が、両作では当然違うわけなんですが。なんとなく思い出したので。ベタベタとアリシアに触りまくってたベニグノ。一方で、目の前で眠るアンナに振れることさえ出来ないレオン。ベニグノにはもう1人の主人公であるマルコという友人が出来たりするのに、レオンは祖母を亡くしどこまでも孤独.....。厳しいなぁ。厳しい。だけど実際、現実なんてそんなものだ。

とりあえず、色々、ぐるぐるとする材料をたくさん与えてくれた作品でした。まだ、胸はずきずきしている。

*1:正直、私はあまりこの作品は好きじゃないので、記憶もちょっとマイナスに振れてるかも...。なんていうか“女”が男性同士の友情物語の単なる”ダシ”にされた気がしちゃったんですよね...