日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

動く城に住んでみたい

今日は、

まず東京都現代美術館で「ピカソ 躰とエロス展」を観る。

知人から招待券を頂けたので。

思えば、ピカソだけの特集展って今まで行ったことなかった。

いやはや、どっと疲れる。

とにかくバイタリティが凄いのですよ。

作品からガンガンと出ているパワーにやられてしまいました。

でも、本当に楽しんで作品を作ってる感じが伝わってきて

やっぱりピカソは天才だったのだなーと。

それにしても。

45歳の時に17歳の恋人って……凄過ぎ。







そしてその後、『ハウルの動く城』を観ました。

この作品、すごい賛否両論のようですが、観て納得。

これは、ある属性?(種類?)の人間にしか、受け入れられない気がします。

ちなみに私は、“ひとつのファンタジー作品”として心底楽しみました。

相方は「もう、全然さっぱり」とのこと。

でもでも、私がこの作品を好きなの、当たり前なんです。

だって私は、

・児童文学好き

・ファンタジー好き(唐突で何の説明もない設定など、全然OK)

・少女漫画好き

・10代の頃、コンプレックスの塊のようだった

・ダメ男好き(顔が良ければ尚良し)

……これを全部を満たしてるんですもの!!!(笑)







ええと、この映画に関してはかなりネタばれ感想書きますので、

まだで「これから観よう」という方は読むの止めて下さいね。

(ちなみに、以下は全てあくまで私の勝手な解釈ですよ)







単純に、この作品は主人公のソフィーに感情移入できるかどうかで

その評価が変わってくるんではないでしょうか。



なんかもう、やれ宮崎映画だ、スタジオジブリだ、とマスコミが事前に騒ぎ過ぎですよ。

要するに、この映画は「コンプレックスの塊みたいな女の子の成長譚」なわけで。

この上なくシンプルなファンタジー映画(おまけに恋物語)、ってだけなんですよ。





可愛くて人気者の妹、若々しくてさっさと再婚決めた母親とかに対するコンプレックスや、

「長女だから」という理由で、父が残した帽子屋を継いでなんとなく生活してるソフィー。

その卑屈さを魔女に突かれ、老婆になる呪いをかけられる……。

でも王子様キャラ・ハウルと出会って恋をして、

「私なんて○○くらいしかできないし」から「○○は得意だ」となり、

「私は○○したい」と言えるように意識が変化していく。

魔女の呪いは、いわば「自分自身にかけた呪縛」みたいなもので。

彼女次第で、そこから自力で抜け出すことはできる……

なんかもう、ものすごーく単純なお話。

でも上記した通り、私も10代の頃はかな〜りの自信喪失コンプレックスを抱えていたので、

そのストーリーにすごく感情移入しやすかったのです。

もともと前向きで、行動力があった(らしい)ソフィーが、

「老婆になってしまった」という異常事態、

そしてハウルに対する恋心から、それを存分に発揮して

卑屈な心に打ち勝ち、どんどん成長していくその姿に、ずっとワクワクしどおしでした。

あとは、キーワードとして「家族」っていうものもあったみたいですね。

父親が亡くなり、バラバラになった家庭環境で生きるソフィーが、

再び家族を得る。

そして「自分自身が自由に生きるため」にしか魔法を使ってこなかったハウルが、

「守るべき者」を得て、そのために魔法を使う……

そうそう、

ハウルに関しても、そのキャラクターにキムタクの声は合ってたように思います。

私はそ〜んなに声に関しては気にならなかったですね。

(そりゃ、とびきり上手というわけじゃなかったけど)

絶世の美少年でありつつ凄腕魔法使いだったり、

でも、結構弱虫で情けない可愛らしい面を持ってたりする……という

出来過ぎな(笑)眉唾ものの設定ですけど、

戦争に心を痛めて、魔物になってしまうリスクを犯し怪我を負いながら

焼け石に水的なレジスタンスを繰り返している、というその姿は

「顔だけじゃないぜ!」という魅力があったと思うし、

ソフィーが恋をするのは当然だろうとも思いますし。

なんか、荒れ地の魔女ほか細かい登場人物も、ファンタジー世界を彩るには十分な感じでしたし。



ただまあ原作との関係なのかどうなのか、私は原作を読んでいないのであれですけど、

設定が中途半端だったりしたのは、確かにちょっと物語全体を混乱させてたかな?とも思ったり。

(例の魔法使いの先生とか、ソフィーの家族構成の設定とかチラ見せ程度すぎるかも)

あとは、ハウルとカルシファー(火の悪魔)との契約を強調しすぎて、

ソフィーの呪いの解決がそっちにも引っ張られ過ぎ?な感じも。

(あのくらい明確な“はい、呪い解けた!”的儀式を期待する観客は出てしまうと思うのですよ……)

あとあと、ハウルはいつ、ソフィーを好きになったのか?とか(「あれか?」と思うところはあるのけど、イマイチ確信が持てない……)

戦争の扱いとか(結構アイロニカルな描かれ方をしてるとは思うけど、例の先生の発言とか結構気になる……)、

かかしの正体の下りとか。

(彼は、“老婆の姿のソフィー”そのものに惚れたのか、それとも、“その本質としてのソフィー”を見抜いていたのか?)

まあ、諸々(笑)。

…………上げてみると、結構細かいところで「?」という点はあるわけで、

個人的には「ソフィーの成長」という主題の物語に満足してるのと、

ファンタジーものの、そういう「設定置いてけぼり」状態にも慣れてるので私はOKですが、

相方のように、そういう細かいところ全てがいちいち気になって、

その主題の物語に全然入り込めなかった……という人も多いような気がします。

その結果としての、賛否両論かと。

私はもう1回、観てもいいかなぁ。うん。

そうしたら、上の疑問点もまた納得できる材料を見つけられるかもしれないし。





それにしても、ソフィーって宮崎監督の理想の“女の子像”って感じなのでしょうかね?(笑)

『千と千尋……』ではあれだけ多くのメディアで語りまくっていた監督なのに、

今回は全然、露出なしですし。

その辺も、ある意味、監督の観客への意思表示なような気がします。

やっぱり、あまりに一方向的な、クリエイターへのイメージ作りとか、

変にマスコミが事前に騒ぎ立てるのとか、ほんとどうなの?と。

見事にそれに踊らされて、過剰に期待して『なんだこれは!』と叫んでる人たちも、

なんだかなぁ、と思いますけども……。