日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

すみません。自分語り。

先日から、例の“結婚について”空き時間などにぐるぐると考えてみたりしているのです。

思えば、自分自身、周りの友人たちほど切迫して強く結婚したいとかは、あまり思ったことなかったなぁ、と。

親や親戚に五月蝿く言われたりとか、経済的・その他の逃避として(苦笑)、ちょこっと希望したりはしますけど。





好きな人と、できるだけたくさん一緒にいたい、とは思うけれど。

かといって、「何が何でも結婚したいー!」と思ったりは、特に思わない。

今の相方に対しては、

一度だけ「この人だったら、結婚してもいいかも」と思ったので

そんなことを伝えてみたら、逆に無茶苦茶困られたので(苦笑)すんなり諦めたし。

現状「もう絶対絶対結婚はしたいー!」とは希望してないのです。

もちろん、将来について漠然とした不安はあるし、

女に生まれたのに出産を経験しなくていいのか?とも思ったりはするのだけど。

かといって、子供を一人前に育て上げる自信は皆目無く。

この点については、我が母を強く尊敬しますよ……

子供をふたりも、一応、ちゃんと育て上げたんだもの。





ここで、“父”が除外されていることに、気付く方もいるかと。

正直、私は父に“物理的に”育ててもらった、という意識が希薄なんですね。

あくまで“希薄”ということですけど。

経済的な面では、やはりその多くは父が支えてくれたとは思ってますし。

ただ、父は、経済的な面と精神的な指針としての柱としては影響はあったけれども、

あまり触れ合って育ってきてはいないな……と。

私は自他共に認めるファザコンなのですが、

それも多分、そういうことの裏返しなのだと思います。

父の父(私の祖父)は、父が祖母のお腹にいる時に戦争に連れて行かれて

南の国で死んでしまったそうで(祖母・談)。

なので、父は、“父親”を知りません。

だからなのか、なんなのか。

私の父は、一般的な“父親像”とは、ずいぶん違った人だと子供心に思っていました。

あまり言葉を交わすこともなく(必要最低限)。

かといって、完全に親子関係が決裂している様でもなく。

彼の気が向いたら、娘として扱ったり可愛がったり。

だけど、こっちの意向は完全無視。

とにかくマイペースに、“家庭を営む”最低限だけやって、あとは気ままに生きている人でした。

はっきりいって、子育て的な部分では、かなり母に非協力的でしたし。

私自身も、時折、父親との触れ合いの薄さを強く意識して、

なんとなく寂しい想いをした記憶もあります。

父の母(祖母ですね)が同居で、

この人は強く“家長としての父”を強く打ち出す躾をしていたので、

経済的・そして精神的な指針としての父親、というものは、幼い頃から刷り込まれ、

父本人も、普段はあまり五月蝿く構ってこない割に、

“ここぞ!”という時には平気で手を出して怒る人でしたので、

“父に対する漠然とした恐怖心(逆らっちゃいけねぇ)”は子供心にしっかりと築き上げられ、

それが捩れて、ファザコンという形に落ち着いたのかな?と。

で、以前、ここまで友人に話したら、

“普通だったら父親、嫌いになったり反抗したりするよー”と言われたのだけど。

やはり祖母の家長強調教育の賜物か。

あとは、ウチはそこそこの規模の工場をやっていて、

幼い頃はそれが自宅と隣接していたので、

“働く父親の姿”をごく身近に、当たり前のように目にしていて、

“それによって自分が生かされている”という尊敬の念が、自然に生まれたせいかもしれません。





ただーし。

上記したとおり、母にとってはとても苦労したであろう環境。

直接愚痴などは(当然)言われたことはないけれども、

やはり子供心に心配はしていましたし、

思春期を過ぎ、こうやって独立してから改めて考えても、

「家庭を築くこと、子供を育てること」ということは、

とてつもなく大変なことなのだと、そういう認識が強く根付いてしまってるようです。

もちろん、幸せな結婚生活をできるような相手を捕まえればよいのでしょうけど、

私の「結婚なんて……」という内に秘めた意識が、逆に“結婚を夢見る”男性を遠ざけているのか(苦笑)、

とりあえず、そういう男性に当たったことがない(苦笑)。

おまけにファザコンのせいで、

自分自身で好きになる男は、父っぽい傾向のある男ばっかり(大苦笑)。

ああ、堂々巡り…………。





そんなこんなで、ここ数日ぼんやり考えていたところ、

「何故、私は結婚に縁薄くきたのか」の因果がなんとなくわかってきたので、

自分では結構納得できたのだった。

……とりあえず、本日は大量の自分語り。

でも、でもかなりスッキリ(笑)。

あとは、どうやって自分の結婚願望の無さを母親に説明するかだなぁ……(間違っても、こんな話は両親にはできない)。

個人的には、こうやって色々苦労して育ててくれた母のためにも、

良き伴侶を見つけて、幸福な結婚生活を送って彼女に見せるのが親孝行なのだとは思うのだけど。

でも、数日前に書いた『結婚の条件』にもあったのだけど、

それって“母親の、娘を使った復讐/理想追及”と言ってしまったらそれまでなわけで。

それとも、この“因果解明”も、

結局は、男に“生涯の伴侶として選んでもらえてきてない”私の、

自己弁護的“壮大な言い訳屁理屈”、なのだろうか???











………………あ、また、思考の闇がぁぁ。