日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

無垢との遭遇


先月子どもが生まれた後輩夫妻の家へ、友人たちと訪問。
「万年、友だち夫婦」みたいな、
「ほんとに人の親になれるのかしらん?」と思われていた彼らが
すっかりパパママ顔になっていて驚く。
やはり、子どもって、凄い影響力なのですね…。
しかし赤子ってば、ほんと得体の知れない生き物で。
見ていて、色々新鮮すぎる。
あらゆる可能性を秘めてるんだなぁ、と、しみじみ。
あのちっさなアタマの中に詰まってる脳味噌は、
一体どんな風に機能してるんだろうなぁ。
“発達”の、塊。
ほんと、不思議。
他人である私が見ても「可愛い!」と思うのだから、
そりゃあ、親である彼らにとっては可愛くて可愛くて仕方ないんだろうなぁ。



ただ、一方で。
とりあえず、私はやっぱり“親”にはなれないなぁ、とも思う。
とてもとても、自分には“ひとりの人間”を育てる責任を負えないよ。
とにかく、私の遺伝子が半分入ってるなんて、その子どもを可哀想だと思うし。
ただでさえ、生き難い世の中になってきているのに、
なんだか中途半端にしか手をかけてあげられなさそうで。
まあ、単純に逃げてるだけなのかもしれないけれど。
何にせよ、逃げたくなるような責任感しか持ち得ない人間には、
やはり人の親になることは無理だなぁ、と。
……そんなことを改めて思ったりもしました。
だから、私はもうすでに“産む性”としての役目を投げてしまっているので、
そんなオンナに、まっとうな幸せはやってくるのかしらん?とも。
ほんと、日々、不安。
そんな不安に追いかけられて、目先のしょーもない恋愛に振り回されてしまうのかも。
(これもまあ、ある意味、言い訳かなぁ……)




後輩宅を失礼して、今度は同行した友人たちとお喋り。
みんなそれぞれ、近況を報告し合い。
で、私のB君絡みの話を包み隠さず話したら、ドン引きされた(笑。
まあね、そうだよね(苦笑。
そこで友だちに
「じゃあ、あともう何回も会えないんだね」と言われて、
思いがけずしみじみしてしまう。
とりあえず、もう10回は無理。
5回もアヤシイ。
うわーうわー。
……もうどうしようもないけど、どうにも寂しい。
ほんと、1回1回を大事にしなきゃ。
でも、全部覚えてたい!とは寧ろ思わない。
逆に、彼がいなくなった瞬間、全部の記憶が抹消されたら。
それなら、どんなに楽だろう…
半端に記憶に残るから、寂しさだけが残るのだ。
ああ、でも。
全て忘れて手に入る楽、よりも、寂しさに塗れるほうがきっと幸せなんだろうな。



……色々、アンビバレントな気分。