あまり観てれない
ここのところ、めっきり映画を観れてません。
マンションとか体調不良とかで、なかなか動けなくて...
トニー・ガトリフの『トランシルヴァニア』終わっちゃったー!
あああ...どこか2番館でやらないかなぁ。やらないかなぁ。
ガトリフ作品は前作『愛より強い旅』がどうやらDVD化未定らしくて
絶対、劇場で観なきゃと思ってたのに...
そんな中で、観た2本。
サミュエル・L・ジャクソン主演作。
思っていたより、全然“まっとう”な作品でした。
もっとトンデモだと思ってたのに!(す、すみません...)
ブルース(音楽)を捨てて敬虔に生きる男(おまけに弟に奥さんを寝取られ)と、
他者への恐怖が捩じれてセックス依存になってしまった女の出会い。
俗を捨てたはずの男、俗の権化みたいな女。
そんな二人が“ブルース(音楽)”で共鳴し合うというのは、なんだか良かったです。
とりあえず、ラストがとても気に入ったので、
それだけで、私にとっては”良し”な作品となりました。
正直、そこに行き着くまでは
“よくあるアメリカンなアクション・サスペンス”なのかなーと思って観てたのです。
が、あのラストで。
そこまでの“お約束的てんこもり感”は、“そのための装飾”なのかなーと思えたのでした。
そこで、“キーワード”の意味が一層、浮き立ったし合点がいったし。
だから、作った側は、あのラストだけをやりたかったのでは?...と。
スタジオに金出させるためには、派手な装飾は必要だし、
観る人間にそれなりの充足感を与えることは必要だから。
でも。
たぶん、逆にあのラストを“とってつけたよう”と感じる人もいるのではないかなー。とも。
“単なるベタなアクションに、それなりのテーマをもたらす為のもの”的なね。
(実際、帰り際にそんな風に話してる人たちの声を耳にしたし)
ただ、私は、私が感じたその解釈を信じたいなー。
兎にも角にも、あのラストに私はぞくぞく来たし、とても、うん、良かったです。
なんていうか、あとでもっとちゃんと感想書こう。
特に『ブラック・スネーク・モーン』...