日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

ぼんやり考えたことと悪夢

※今日のエントリは無駄に長いです。


最近、私はこれまでよりほんの少し“結婚”について考えることが多くなってきまして。
きっかけは、単純に妹の結婚だと思うのだけど。
でもって私は30もすぎて、いまだ男性から“生涯の伴侶”として選んでもらえてないわけで、それは、私の中にそれほど強い願望がなかったということも原因の一つなのだろうけども。
でもたぶん、私に圧倒的に欠けているのは
“理解と赦し”
…なのだと思うのだ。


私の中に強く根付いている考えのひとつとしてあるのは
“たとえ好き同士だからとはいえ、完全には理解し得ない”
というもの。
私はだからこそ、相手をいとおしく感じ出来る限りは理解しようと努めるわけで、そんな風にじたばたするからこそ“恋愛”というのは楽しく興味深い経験を自分にもたらしてくれるのだ…と。
だけど、なんとなく、私はどこか“どうせ全部は理解できないし”と諦めてしまってもいる。
“一線”を、予め自分と相手の間に引いてしまうのだ。
たぶん、“ソレ”が、相手が求め赦されたい距離と一致していないんじゃないかなぁ、と。
どうにも上手く書けないけれど、
これまでおつきあいしてきた相手を思い返してみるに、結局、男性はどこか“自分を無条件に受け入れてくれる者”を求めているような気がしていて。
そもそも最初から“ここまで”って線を引いてるような女は、それこそ恋愛関係としてそこそこの期間付き合って、駆け引きしたりするには良いかもだけれど、“人生”という長スパンを考えたら、そりゃ寂しいよなぁ、と。
だから、選ばれるはずがないのだ。うん。


Fと一緒に居て思うのだけれど、やっぱり彼も“自分を全て理解してくれて赦してくれる”存在として私を求めているように思える。
でも私は、“相手をまるごと解る”なんて絶対出来っこないし、それを期待されるのもしんどいなぁと感じてしまう。
でもって、私はとてもとても愚かなので“そんな役割を求められても無理だ”とクチにしてしまうのだ。
…それでも、と言ってくれるFに対して、私はすごく嬉しいなぁと思うし、ありがたいなぁと思うけれど、
頭のどこかで、“でもそれは、期間限定だからなのだ。この人もきっとそのうち、私から離れてしまうんだろうなぁ”と考えてしまう。
だから、私はやっぱり、女として欠陥品なのかなぁ、と。


そんなことを、夕べ、お風呂に入りながらぼんやりと考えて。
そのまま就寝したところ。見た夢がまた最悪で。
なんとまあ、私は夢の中で結婚することになっていて。
加えて、その相手が、なんとまあ。
まるで“ウチの父親”だったのだった*1
実際、私はかなりのファザコンなんだけれど、結局、深層心理として、私も得られなかった愛情を求め続けていて、それはおそらく肉親のソレと同等の“理解と赦し”なんだなぁと思うと。
なんて身勝手な!


色んな要因が積み重なって出来たのが今の自分とするならば。
この問題は、やっぱり如何ともし難いなぁ、と。
一応、人並みに“選ばれたい”とは漠然と思ってはいるのだけれど。
修正は可能なのか。否か。…ハテサテ。

*1:目覚めた記憶では定かではないけれど、瓜二つの人間、というよりはおそらく、本人。恐ろしい…