日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

少女の孵化する音


JUNO/ジュノ』を観てきました。
ずっとずっと待ってたよ!
実は少し前に試写会で一度、観ることはできていたのだけど、好き!と思えた映画だったし、“もう1回観たい”とも感じた作品だったので。
とりあえず、ぐだぐだずるずると観た感想を綴るのでネタバレ注意。未見で、少しでも”観よう”と思われてる方は、スルー推奨です。


あらすじとしては。
“ちょっぴり変わり者”な16歳の女子高生、ジュノが一夜の過ちで同級生のポーリー・ブリーカーとの子どもを妊娠。中絶を考えるも、病院前で“中絶反対”を掲げていた友達の“お決まりな”一言や病院の適当な対応に思い返して産むことに。でも育てられるわけないから、子どもを欲しがっている里親希望者に譲ろうと思い立ち、“完璧”に思われる若くリッチな夫妻と契約。おなかの中で子どもを育む間に、彼女は“もう充分オトナ”だと思っていた自分の未熟さと”完璧に見えるオトナたち”の事情を目の当たりにし、成長していく...という物語。


ネットの一部では“アメリカ版『恋空』”とか書かれてるのを目にしたけど、でもって私は『恋空』を読んだことも観たことも無いけど、多分、全然違う性格の物語かと思うのだけど...どうなんだろ? だって『恋空』って感動モノなんでしょう?
一方、アメリカではこの映画は、“イマドキなティーンのリアルな言葉使いやライフスタイル”が描かれてる“ある女の子の解りやすい成長譚”としてヒットしたわけだけれど。
うん、本当にシンプルなテーマの物語。
確かに"16歳の妊娠”はビビッドに目を引くネタではあるけれど、主人公の“アタマでっかちサブカル少女”で”訳知り顔は得意”なジュノの、“でも私は結局、何も解ってなかった!”という愚かさを浮き彫りにしつつ、“一人の少女が、子どもを産むことによって自分自身『新たに産まれ直す』姿”を描いた、一種の“ファンタジー映画”だなぁと。
だから私は、個人的には、この物語が”映画であって則ち、フィクションである”ということが切ないなぁとただただ思ってました。良く出来ているだけに。


嗚呼、こんな現実を生きてみたい! 否、“生きてみたかった!"(笑


そんなこんなで、アタマでっかちサブカル少女の一端に属していた人間としては、主人公ジュノに対して感情移入しつつ、且つ、自分の愚かな部分の合わせ鏡的なところも感じて、ちょっぴり痛々しく思いながら、どっぷりとその世界に浸らせてもらいました。
多分、現実はこんなに甘くなく。だけど“もしかしたら、こんなことが実際に起きているかもしれない!”という希望は抱ける絶妙なリアリティ。その“リアルさ”の要因は、何より各キャラクターたちの人物設定が絶妙でエピソードの挟み方が絶妙なのだなぁと。
たとえば、ジュノの里親となる若き夫妻。
"93年”をロックの全盛期と言いソニックユースが好きでスラッシャー映画を愛好しロックスターになりたい夢をくすぶらせながら家庭のために”商業音楽”を職人的に作り続ける夫マークと、ただただ“母親になること”を切望し情熱を注ぎ続ける妻ヴァネッサ。共に満たされなかったからこそ成り立っていた“完璧なる”夫婦生活が、“片方の望み”が叶うとなった途端、歪み始める。そしてマークと意気投合していたにもかかわらずジュノは、他人が大勢いるショッピングモールで自分の前に跪き必死に子どもに囁きかけたヴァネッサを信頼する。
そして何より、ジュノの相手、“ポーリー・ブリーカー”! もうね、私ってばとりあえず、ジュノと“好みの男”が同じすぎなんですもの...私もポーリー・ブリーカーみたいな彼氏欲しい! ほんと、完璧過ぎる。
私は前からポーリーを演じてるマイケル・セラがストライクすぎる!と思っていたし、ここにも書いてたので多少の贔屓目はあると思われますが(笑)、とにかく、妊娠を告げられたポーリーがジュノにまず「僕たちは、どうすればいい?」と言ったことで、もう心臓わし掴みです。“WE”なのだよ。“I”でも“YOU”でもなく。そこがどーしよーもなく良かった。
ちゃんと予習しながらも“写していいよ”という度量の広さを備えつつ、運動もやるし、バンドもやるしギターも弾けるし、映画館でドーナツ投げる程度のハメも外したりする。そして何より、”何も言わずに添い寝” ...あああ、完璧だ。(興奮し過ぎですね、すみませんすみません)
ええと、無駄に熱くなりすぎましたが。
とにかく、キャラクターの性格や背景、コネタが“これ見よがし”にならず、あくまでさらっと描写されているところが、すごく好感持てました。ところどころ、目頭を熱くさせるようなシーンや台詞が入っているのに、それが押し付けがましくないというか。たぶん、そういう“さりげないけれど確実”な絶妙さ、バランスの良さが、“完全なるフィクションでファタジーな設定”をリアルに感じさせた大きな要因なんだろうなぁ。
それにしても、英語、もっと解ったらもっと楽しめたんだろうなぁ。きっと訳に反映できてないネタは山ほどあったと思われる。帰国子女の友人(試写会で一緒に観た)は、“ティーンの女の子たちならではの言い回しが確かに多用されてた”“自分はサブカルネタに弱いから理解できなかったネタ、結構あったかも”と言ってたくらいだし。
とにかく、とてもとても楽しめたし、好きだなぁと思えた作品でした。



この映画を観てなんとなく思い出したのは『ゴーストワールド』で。あの映画でソーラ・バーチが演じていたイーニドも、“訳知り顔サブカル女子”の典型として描かれてて。でもイーニドは結局、“現実”と折り合いをつけられず結局あのラストを迎えた...という感想が、あの作品に対してあったわけです。
一方、このジュノは、訳知り顔ながらひたすら現実にぶつかって(ただただ欲望のままに!)、結果、自分の過ちを受け入れて、経験し育て、産み落とし、そして“何も知らなかった自分”を受け入れてまた現実に立った。そういう“空気”が“今”なのかもしれないなぁ、と漠然と思ったりもしたのでした。この辺は、まだちゃんと整理できてないから、今、なんとなく浮かんだまま書いてますけど。
何はともあれ、素敵な作品に出会えると”やっぱり映画が好きだー”と思える。それはとても幸せだなぁ。でも、ほんとにポーリーみたいな彼氏欲しい!(切実すぎて見苦しい...)


If I Were a Carpenter

If I Were a Carpenter

劇中で、マークがジュノに焼いてあげてたCD。これ、私もMDダビングしたの持ってたなぁ...懐かしい。