日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

ぱーくぱくちゅぎゅっ


宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』を観ました。
私は、とりわけ監督の作品に過剰に思い入れとか持っていないつもりだけれど、でも、やっぱり劇場で観ておきたい作品だよなーとは思うくらいにココロを惹かれるわけで。でも、お子さんがたくさんの混んでいる時期はさすがに辛いなぁということで、こんな時期になってしまった訳で、だからまあ、ネット上での微妙な反応も絶賛の反応も、まあ、あるらしいということは認識しつつ。でもなんだかんだで私は、批判されまくった『ハウルの動く城』はとても好きだったし*1、きっと何かしらは受け取れるのでは?と思いつつ足を運んだわけでした。


.....すんません、「何かしら」どころじゃなかった...(以降、多少ネタバレ有りと思われます)


とりあえず、最初はボーイ・ミーツ・ガールで始まる冒険譚...なのかなーという印象を抱いたんですけど、途中から、おやおや?...と。相変わらずパンフレットとか買わない人間なので、怪しい記憶だけで書きますけども。ポニョ父の「カンブリア期(でしたっけ?)の海の再来だ! 人間の世界が塗り替えられる」的な発言から、イザナミイザナギじゃないけれど、天地再創造的な話に行くのかなーと一瞬思ったりしたわけです。津波に、水に飲み込まれた陸地。太古に戻った海中の姿...。が、どうやらなんか、それだけじゃすまない?というか、それに付随して、”海に飲み込まれた人間”は?と。一応、彼らは”元気な姿”を見せるわけなんだけれど、その登場の仕方が唐突過ぎるし、ひっかかりがありすぎる。引用される、泡と消える人魚の伝説。泡から産まれたイキモノたち、という台詞。主人公の宗介とポニョの心躍るような冒険の中、ところどころココロに引っかかる描写。なんか、いちいち突発的な気もするし、なんだか“何か”ありそうな気がして...そしたらなんていうか、またも“トンネル*2”...。まるで天国みたいなドームの中で、車椅子から立ち上がりアハハウフフと翔るおばあちゃんたち。“舟”を渡したおばあちゃんだけ、そこに居なくて...それはやっぱり、そういうこと??? ...なんていうか、テンポよく進むストーリーの上、かろうじてなんとかキーワード的なものを拾い上げて追いかけてるうちに、映画が終わっちゃったー! うわー!


いや、なんかもう、面白かったというか。楽しかった! 頭の中をめくるめく踊る、色彩と物語。そして、その“意味”。深読みする気になればいくらでも出来そうだし、でも多分、私では確実に消化しきれない。...そして、おそらく監督は”これが正解!”なんて言うつもりもないのだろうけど。やっぱり、この人の作品は、イマジネーションを刺激されるなぁと思います。まさにエンタメだー。
ただ、誰が言ったか”国民的人気アニメとしての宮崎作品”としては、一見した印象の混沌具合は、どんどん増してる気がします...っていうか、私、今回の話はあんまりハッピーエンドに感じなかったのだが*3...なんとなく...。だって、“人間になれたポニョ”と、宗介一家、そして海に呑まれたあの街...あの世界が、映画が終わったその瞬間にもいまだ”混沌”を極めていて。まったくもって“めでたしめでたし”に映らなかったというか。たとえば、混沌から何かが生まれるにしても、あまりにも先が見えない。もしかしたら何も生まれないかもしれないし、どうにも理解不能なものが生まれるかもしれない。...でも、もしかしたら、その“先の見えなさ”を受け入れてそこに立つこと...が、重要なのかもしれません。ほんと、まだ全然消化できてないけども。


なにはともあれ、そんな混沌に負けず鳴り響く、あのテーマソングはなかなか凄いのかも...と、再確認。あんなラストだったのに、あの曲を口ずさんだら、エラいハッピーな映画観た気になったもの...さすがだなぁ(笑)。

*1:[http://d.hatena.ne.jp/akimi/20041204:title=この日記]参照

*2:例えば「千と千尋〜」では“別世界への入り口”として描かれたモチーフ

*3:映画の描写上では、ハッピーエンド的に描かれていたとは思いますが