日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

奇蹟など起きない

イエジー・スコリモフスキ監督『アンナと過ごした4日間』を観ました。
公式サイト
ずきずき、ずきずきと胸が痛む。
...観終わった後、そんな感覚に囚われてしまった映画でした。

社会的には底辺的な生活をしているが、ただただ真面目な中年男レオン。孤独で寡黙な彼が想いを寄せる女性アンナに対し、思い切った行動に出る。
その、4日間。


(ここからネタバレ満載の感想)
言ってしまえば、ただただ気持ち悪いストーカー的な男の、酔狂な行動の話。
だからこそ、奇蹟は起きない。
病院の火葬場という人がやりたがらない仕事をせざるを得ず、どうやら生まれも複雑で幼い頃から病弱な祖母と二人暮らし。数年前、偶然、アンナがレイプされている現場に居合わせ、そんな場面なのに彼はアンナに恋をする。
彼の目に入ったアンナの赤い爪の足。正体不明のチカラ(=見知らぬ男)に押さえつけられ抗う足...。穿った見方かもしれないけれど、レオンは、そこに“自分と通じるもの”を感じたんじゃないだろうか...(いや、ただ単に生まれて初めて目撃した性的な現場だったから、だけかもしれないけれど)。“押さえつけられる者の哀しみ”を知る者同士、と。
その後、現場に遺してしまった遺留品からレイプ犯とされてしまうレオン。取り調べでの彼の過剰に怯えた態度からも、きっと彼は幼い頃からずっと、周囲から恫喝されて生きて来たんだろうということが想像されて。社会という“大きなチカラ”に抗えず、縮こまって生きてこざるを得なかった男...そんな男が、唯一見出した光。恋する女。ただただ焦がれて起こした行動が“睡眠薬を盛って眠りこけた相手を、ただ一晩中見守ること”って......!
結局、彼は色々諦めていて。諦めざるを得なくて。それを想うと、ずきずきする。そして結局、奇蹟は起きず、彼は住居侵入の咎で再び逮捕されてしまう訳なのだけれど。だけど、世の中なんてそんなものなのだ。弱者には厳しく、道を誤った者には容赦ない。

思い出したのは、アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』だった*1。(ここから『トーク〜』のネタバレあり。ご注意)
植物状態に陥った恋する女性アリシアを思いあまってレイプする看護士ベニグノ。彼は“純粋のかたまり”のように描かれていたように記憶しているのだけれど。ベニグノは罪に問われ投獄されながらも、結果、出産によってアリシアが植物状態から回復し意識を取り戻すという“奇蹟”を呼ぶ。
......まあ、映画としての主題が、両作では当然違うわけなんですが。なんとなく思い出したので。ベタベタとアリシアに触りまくってたベニグノ。一方で、目の前で眠るアンナに振れることさえ出来ないレオン。ベニグノにはもう1人の主人公であるマルコという友人が出来たりするのに、レオンは祖母を亡くしどこまでも孤独.....。厳しいなぁ。厳しい。だけど実際、現実なんてそんなものだ。

とりあえず、色々、ぐるぐるとする材料をたくさん与えてくれた作品でした。まだ、胸はずきずきしている。

*1:正直、私はあまりこの作品は好きじゃないので、記憶もちょっとマイナスに振れてるかも...。なんていうか“女”が男性同士の友情物語の単なる”ダシ”にされた気がしちゃったんですよね...