日々の泡立ち

泡立っては消えていく言葉の置き場。

どうやっても消せないもの

中野にある喫茶クラシックが1月いっぱいで閉店していたという情報を目にして、

真っ先に思い出したのは、

一時期、どうにもこうにも好きで仕方なかった“ヤツ”のこと。





嘘吐きのようでいて、バカ正直だったり。

ものすごく捻くれているのに、無邪気な子供のようだったり。

ヤツの言動、その全てが疑わしかったし、一方で全てが真っ直ぐな気もしていて。

私はそのアンビバレントさに翻弄されるのが嬉しくて楽しくて堪らなく、

その一挙手一投足にまさに一喜一憂して、

まるで10代の少女のような気分で、その想いを抱いて日々過ごしていたのだった。





でもって、そのヤツが「すごく好きな店」として教えてくれたクラシック。

「今度、一緒に行こう」って言ってくれてたけど、

例によって、それは果たされなかった約束のひとつとなった。

だから、すごくすごく気になっていた店だったけれど、

私ひとりで足を向ける気持ちにもなかなかなれなかった。





閉まってしまったのかぁ……。

やっぱり、見ておくんだった。

ヤツがあんなに楽しそうに話をしてくれたお店。

その内装や、その雰囲気や、その空気。

全部、私の目で、確かめてみておけばよかった。





またひとつ、増える後悔。

あの時の電話や、あの時の会話や、あのメールや。

あそこであんなことをしなかったら、

私はこんな風に、今もヤツを思い出すことはなかったのかもしれない。

ヤツに関する思い出、その半分は後悔ばっかり。

「とにかく好きで仕方なかった、その恋する楽しさ」と、

「きっちり整理をつけなかった、その後悔」。

思い出までアンビバレント?だ(苦笑)。

こうやって、ヤツは私に一生消えない痕を残してる。

でもって、当の本人は、

きっと私のことなんてキレイさっぱり忘れ去って、

今も飄々と生きているに違いない。

……でも、そうあって欲しい。

そんな風に思ってしまうのは、やっぱり惚れた弱みなのだろうか。







ヤツからもらったメール、そのフォルダがまるごと消えたとき、

私はこれまで経験したことない位に動揺して、心の底から泣きそうになったけど。

でも、それは、

バックアップして大切に取っておくべきモノでもないという意識もちゃんとあった。

要するに、そういうことなんだと思う。

消えてしまうもの。

消えるべきもの。

それでも、残っているもの。